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{右・寄}御穂(みほ)神社 芝4-6-17 「欧風カレーとワインの店」の角の小道を右折すると正面に神社が見える。室町時代の創建で起源は漁師に澪標を教え慕われた老翁の没後に庵の跡に宮所を設け「みおの明神」として崇めたという説と駿河の三保の漁師たちがこの付近に移り住み地元の御穂神社の分霊を移したという説がある。祭神は藤原藤房卿(万里小路藤房)。後醍醐天皇に使える公家だったが南北朝の乱を避け出家しそのまま行方不明になったため前述の老翁が実は藤房との説もある。平成17年鹿嶋神社を合祀した。右隣は浄土宗法音寺、左隣は浄土真宗正念寺、奥には浄土宗宗光寺と寺に囲まれている。 |
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{左・寄}旧・鹿嶋神社 芝4-15-1 第一田町ビルの手前の小道を左折して行くとある。寛永年間(1624-43)に鹿島神宮の小祠が漂着し同じく漂着した11面観音像と一緒に祀ったのが起こり。東海道寄りの角には狛犬の乗った奇岩がある。境内には落語家から寄席看板書きに転身し寄席文字を創作した橘右近の書による昭和52年建立「芝浜囃子の碑」がある。社殿の老朽化に伴い平成17年1月に御穂神社に合祀された。
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{右}元和キリシタン遺跡 三田3-7-8 札の辻交差点を過ぎて歩いていくと右側にある。元和9年(1623)徳川家光が50名のキリシタンを火刑にした江戸大殉教の刑場跡。処刑されたキリシタンの中には家康の小姓で「家康の影武者」の伝承もある原主水やイエズス会のジェロニモ・D・アンジェリス神父、フランシスコ会のフライ・ガルベス神父がいた。また寛永15年(1638)にも同じ場所でキリシタンらが処刑されている。手前にあった三田都ホテルは平成14年に営業終了し現在は新しい建物が建設中。
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{右}佐藤本陣跡 砂子2-4-7 市役所通りを渡り三菱信託銀行の隣、現在建設中の川崎砂子ビルのあたりにあったとされる。案内板はない。佐藤本陣の規模は181坪(598平方m)で門構玄関付。惣左衛門本陣や上の本陣とも呼ばれ幕末には14代将軍家茂が京に上る際に宿泊した。
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