基本情報

その他の広重「東海道五十三次」

佐野喜版「東海道五十三次」
天保11年(1840) 広重44歳。
佐野屋喜兵衛により刊行され、絵の中に狂歌が一首づつ書かれているので「狂歌入東海道」と呼ばれる。通常より小さく1枚の紙に2図分刷って切ったため総数が偶数になるよう終点の京が2図あり全56枚。
江崎屋版「東海道五十三次」
天保13年(1842) 広重46歳。
江崎屋辰蔵・吉兵衛より刊行され、シリーズの題が行書で書かれているので「行書東海道」と呼ばれる。全体に色彩が淡く明るい陽光を浴びた作品が多いシリーズ。全55枚。
丸清版「東海道五十三次」
弘化4年(1847) 広重51歳。
丸屋清次郎より刊行され、シリーズの題が隷書で書かれているので「隷書東海道」と呼ばれる。各地の名所・名物を取り上げ、図中に文字で示している。全55枚。
有田屋版「東海道五十三次」
弘化年間(1844-1848) 広重48-52歳。
有田屋清右衛門により刊行され「有田屋版東海道」と呼ばれる。横四ッ切り判と小型で珍しく、それぞれに工夫をこらして描いているが、構図は他と似かよっている。
蔦屋版「東海道五十三次」
嘉永年間(1848-54) 広重52-58歳。
蔦屋吉蔵により刊行され「蔦屋版東海道」または「蔦吉版東海道」と呼ばれる。蔦屋は縦長の「竪絵東海道」も刊行している。
村市版「東海道五十三次」
嘉永5年(1852) 広重56歳。
村田屋市五郎により刊行されたこのシリーズは、人物を大きく中心に描いている為「人物東海道」と呼ばれる。図柄は旅姿等の女性が多く、アップに描いているので、表情や仕草がよくわかる。
藤慶版「東海道五十三図会」
弘化4年(1847)広重51歳。
藤屋慶次郎により刊行されたこのシリーズは前面に美人姿を大きく描いているので「美人東海道」と呼ばれる。広重は風景画の大家であるが、美人画も人気で評価が高く貴重なものである。他にも美人東海道シリーズは多くの絵師が描き、広重の保永堂版東海道の絵に三代豊国が美人画を描き加えたシリーズもある。
蔦屋版「東海道五拾三次名所図絵」
安政2年(1855)広重59歳。
蔦屋吉蔵より刊行され構図が竪図であるので「竪絵東海道」と呼ばれる。竪画面で構成されているので俯瞰する構図が多く用いられ、奥行きを表現するのに様々な思考錯誤が伺える。全55枚。蔦屋は嘉永年間に横長版の東海道五十三次「蔦屋版東海道」も刊行している。
伊場仙版「東海道五十三対」
天保14年(1843)広重47歳。
伊場屋仙三郎より刊行されたこのシリーズは、広重、三代豊国、国芳の三人が1枚ずつ分担して描き、風景は少なく人物を主とし、下三分の二が絵面でそれぞれの宿にちなんだ伝説、史跡、著名な出来事等を描き、上三分の一に説明が記されている。
丸久版「双筆五十三次」
安政元年〜2年(1854-1855)広重58-59歳。
丸屋久四郎より刊行されたこのシリーズは、三代豊国と広重が1枚の絵を合筆したシリーズで「双筆東海道」と呼ばれる。背景を広重が描き、その前の人物を豊国が描いた。全55枚。
「東海道張交図会」
このシリーズは1枚の中に3〜5宿の風景、名産、物語等の絵を張り交ぜた作品で「張交東海道」と呼ばれる。有名なのは嘉永5年の伊場屋仙三郎の刊行による伊場仙版(全12枚)だが他にも版元が複数ある。
 泉市版(和泉屋市兵衛、嘉永5年)
 丸清版(丸屋清次郎、弘化4〜嘉永5年)
 山藤版(山口藤兵衛、安政3年)